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  • 斎藤耕一
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  • 斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日-)は、映画監督。 東京八王子市に生まれる。立教大学中退後、東京写真工芸大学(現・東京工芸大学)に入学する。卒業後、1949年、太泉映画(現・東映東京撮影所)にスチルマンとして入社し、今井正の『ひめゆりの塔』で「キネマ旬報スチールコンテスト」で一位入賞する。 1954年、日活に引き抜かれ、中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当する。石原裕次郎とも仕事仲間で親しかった。また、中平康の『月曜日のユカ』などの脚本も手がける。 しかし次第に自身のイメージと作品とのあまりのずれに失望し、1967年、私財を投じて「斎藤プロダクション」を設立する。同年、自ら脚本も書いた「囁きのジョー」で監督デビューする。 以後、『小さなスナック』など松竹の「歌謡映画」を撮っていたが、1972年、岸惠子扮する仮釈放の女囚と萩原健一扮する強盗犯との短い恋を描いた『約束』で評価を高め、『旅の重さ』、キネマ旬報ベストワンにかがやいた『津軽じょんがら節』と次々と発表し、日本を代表する映画監督のひとりとなる。 その後も日本の風土を背景にした作品を撮り続けている。特に、当時「日本一荒れた学校」と報道された「稚内南中学校」が全国民謡民舞大会で日本一になった実話をもとに作られた『稚内発・学び座』は、1999年に公開され、大反響を呼んだ。
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  • 斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日-)は、映画監督。 東京八王子市に生まれる。立教大学中退後、東京写真工芸大学(現・東京工芸大学)に入学する。卒業後、1949年、太泉映画(現・東映東京撮影所)にスチルマンとして入社し、今井正の『ひめゆりの塔』で「キネマ旬報スチールコンテスト」で一位入賞する。 1954年、日活に引き抜かれ、中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当する。石原裕次郎とも仕事仲間で親しかった。また、中平康の『月曜日のユカ』などの脚本も手がける。 しかし次第に自身のイメージと作品とのあまりのずれに失望し、1967年、私財を投じて「斎藤プロダクション」を設立する。同年、自ら脚本も書いた「囁きのジョー」で監督デビューする。 以後、『小さなスナック』など松竹の「歌謡映画」を撮っていたが、1972年、岸惠子扮する仮釈放の女囚と萩原健一扮する強盗犯との短い恋を描いた『約束』で評価を高め、『旅の重さ』、キネマ旬報ベストワンにかがやいた『津軽じょんがら節』と次々と発表し、日本を代表する映画監督のひとりとなる。 その後も日本の風土を背景にした作品を撮り続けている。特に、当時「日本一荒れた学校」と報道された「稚内南中学校」が全国民謡民舞大会で日本一になった実話をもとに作られた『稚内発・学び座』は、1999年に公開され、大反響を呼んだ。 1974年、芸術選奨文部大臣賞、1994年、紫綬褒章受章。
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